実夏の あっ地こっ馳 紀行

ご注意;★このブログの登場人物はフィクションです。
■  9月6日  サハリン = つめたくわらつた

 エレベータを待ちきれず、あたしたちは船尾側の階段を駆け上った。息せき切ってミッドシップ・バー入った。
 カウンターの内側にモリさんがいて、スツールに立柳さんが腰かけていた。他にお客はいなかった。立柳さんは、青みがかった薄いグレーの清楚なスーツを着けていた。ボトムスは、左わきにプリーツが1本だけ入っているスカート。ダーチャ・ツアーを添乗していたときの水色のポロシャツもスポーティーで素敵だったけど、このスーツもなかなか決まっている。オレンジジュースのようなカクテルを手にしていた。
「来てくれたのね、ツインズさんたち」
 モリさんが声をかけてくれた。
「メモ、ありがとうございます」
「キリル文字、読めた?」
 立柳さんがこちらを向いた。
「えっと、固有名詞だけ」
「上等よ」
 素敵な笑顔でほめてくれた。
「それで、パズルはとけましたか?」
 ティーカップを拭きながら、モリさんが尋ねる。
「それが、ぜーんぜん」
「私たちも、チャレンジはしたんですけど」
 カウンターの上には、カクテルピンがLだとかHだとかの形に並んでいた。立柳さんの左ひじの下には、日本文学全集の宮沢賢治の巻があった。にっぽん丸の図書室から帯出してきたんだろう。
「苦労したことは立柳さんから聞きましたよ」
「アートをアイに変えることは話したんだけど」
「…やっぱり、説得力はないですよね」
 あたしが立柳さんの言葉を継ぐ。
「難問ですね」
 といって、モリさんも残念そうな顔をした。
 話しながらも、モリさんは透明なティーポットで紅茶を作っていた。ミッドシップ・バーにはコーヒーマシンがあって、コーヒーやエスプレッソはボタン一つでできる。でも、紅茶はやはり入れてくれる人の腕がものをいう。
「眠れないといけないから、カモミールをベースにブラックカラントのジャムを入れてみました。眠れる湖のロシアン・ティーです」
 あたしたちの前に、黒いジャムが入ったティーカップが置かれ、黄色いお茶が注がれた。ハーブのいいにおいがする。
「すてき!」
 夏美お姉ちゃんが少女のような声を上げた。これなら、安らかな気持ちで眠れそうだね。だけど、HELLの謎を解いていないあたしは、まだ眠るわけにはいかないんだよ。まったく。 
 ロシアン・ティーをいれてくれたあと、モリさんもHELLをLOVEに直そうとし始めた。ミッドシップ・バーはいま、あたしたちの貸し切り状態になっているから、時間はある。あたしは、ポケットからダーチャの庭で拾った小枝を取り出し、カウンターに並べた。その隣で、立柳さんがカクテルピンを使ってキリル文字を作っていた。
「ロシア語ではなさそうですね。やはり、素直に英語のアルファベットでしょうか」
 立柳さんはギブ・アップしたようで、シャカシャカと音を立てて両手でカクテルピンをシャッフルした。難しいのはわかるけど、もう少し粘ってほしいなあ。
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「HERUをLABUにしては?」
 モリさんが何気なく話す。
「ローマ字ですか?」
「Rって、枝で描くとかなり難しいんです。曲線があると特に」
 あたしが答える。キリル文字も意外と曲線が多いから、立柳さんもうなずいてくれる。そして、
「ローマ字がだめなら、カタカナはどうでしょう?」
 と何気なくつぶやく。
「え? カタカナ!」
 夏美お姉ちゃんが立ち上がって、あたしの木の枝を並べ替える。
「まず、ヘルでしょ」
 そういって小枝を並べる。そして、ルを裏返しにして90度傾ける。ラになった。ヘはそのまま90度時計回りにするだけでフになる。
「ヘルがラフになったよ、実夏」
「あとは濁点だね」
「栄浜でしょ。貝殻でも小石でもごろごろしてるよ」
 カタカナとは盲点だった。さすがモリさん。世界中を旅しているだけある。
「でも、原文ではアルファベットですよ」
「立柳さん、水をさすことないのに」
 モリさんが苦笑いする。確かにそうだ。カタカナ説は2つの弱点がある。一つは濁点、もう一つは原文がアルファベットだということだ。チャイキャベちゃんも涼奈センパイも、そこを指摘することは間違いない。
「…濁点は、お姉さんがいうとおり貝殻や小石を使うとして、原文がアルファベットというのは致命的ですね」
 モリさんがいう。
「日本の歌謡曲でも、カタカナで書けばいいところをわざわざアルファベットにしている例は、たくさんあります」
 あたしは、うつむきながら小さな声で言い訳した。反論ではなくて、言い訳にしかならないのが、なんだか情けない。それでも、これが今現在一番有力な説だ。
 そのとき、場違いな音楽が流れた。ロシア民謡の「一週間」。テュラテュラテュラ…っていう歌。っていうか、あたしのドレスの中から聞こえてくるよ。
「あ、実夏、ごめん。ケータイの着メロ、変えたままだった」
「ちょっと、また勝手にあたしのケータイ使ったでしょ」
「いいじゃん」
「お姉ちゃんはいっつも長距離だったり、長電話だったりで」
 口論になりかけたあたしたちに、立柳さんが割って入った。
「出なくていいんですか? 電話に」
「どうせママでしょ」
 番号通知を見ると、藤沢のわが家だった。
「ウチからだよ」
 電話をつなげると、聞きなれた声がした。
「こんばんは、チャコです」
「チャコ従姉ちゃん…」
 留守番しながら受験勉強をしているチャコ従姉さんが電話をかけてきたんだ。
「これ、国際電話なの?」
 夏美お姉ちゃんが小首をかしげる。立柳さんもきょとんとしている。モリさんは微笑みながら
「大丈夫。日本の電波を拾っていますから」
「え? もう日本の電波ですか。なんか残念~」
 がっかりした声を夏美お姉ちゃんが出す。帰りたくないよね。降りたくないよね。
「にっぽん丸を気に入ってくれてありがとう。もっとがっかりすること教えてあげますね。あの灯、北海道ですよ」
モリさんが窓を指さした。窓の外には、救命ボート越しに、橙色の光が一列に並んで点滅していた。あーあ。
「なに盛り上がってるのかな?」
 チャコ従姉ちゃんが電話の向こうで声を上げる。
「…っていうか、なんの用?」
「時差2時間を実感したくて、電話したら、つながったの」
「時差?」
「そっちはもう10時でしょ。藤沢はまだ土曜の夜8時だヨ。加トちゃんぺ。東村山~」
 70年代が好きなチャコ従姉ちゃんが、わけのわからないギャグを飛ばす。従姉ちゃん、時差は2時間であって、40年じゃないよ。
「従姉ちゃんより2時間未来を走ってるんだよ」
「そうね、2時間おばさんに近づいてるんだね」
 半年先に生まれたくせに。まったく。
「でもすごいな。国内通話で、2時間の時差があるなんて」
 そのあたりは、さすが地理学科志望の受験生だね。
「…ところで、HELLの謎、解けた?」
 あたしはかいつまんで、カタカナ説を説明した。チャコ従姉ちゃんは相槌を打ちながらも、納得していないようだ。そうだよね、これじゃあチャイキャベちゃんも納得してくれそうもないね。
「藤沢に帰ったらまた考えるよ。チャコ従姉ちゃんも一緒に考えてよ。三人寄ればなんとかっていうでしょ」
「そうね。明日の晩まで待ってるね」
 そういって、電話が切れた。明日の晩にはもう、自宅に帰っているのか。あーあ。
 ため息をついてばかりでいるのもしゃくだから、あたしはカウンターの上の枝を3本まとめて、折ろうとした。
「実夏、それは文殊の知恵じゃなくて、毛利元就3本の矢だよ」
 3本の枝に力を入れた。今夜の検証は、もうこれで終わりにするつもりだ。枝を日本国内にもっていくのは、植物検疫を受けなくてはならない。もっとも、小樽のQSCは、そんなに厳密じゃなさそうだけど。
 濡れていたはずの枝は、意外とあっさりと折れた。
「ちょっと、実夏、待って」
「遅いよお姉ちゃん、いま折れちゃったよ」
「そうじゃないの。LOVEの謎、解けたかも」
「「「え?」」」
あたしは、モリさん、立柳さんとハモりながら声を上げた。
「実夏、賢治の詩を読んで、もう一度」
「いいわ、私が読むわ」
 そういって、立柳さんが詩集を広げた。 

『幾本かの小さな木片で
HELL と書きそれを LOVE となほし
ひとつの十字架をたてることは
よくたれでもがやる技術なので
とし子がそれをならべたとき
わたくしはつめたくわらつた』

 ゆっくりと立柳さんが読み、夏美お姉ちゃんがカウンターの上に小枝を並べた。そして最後に、十字架を立てた。
「なるほどね」
「たしかに」
 モリさんと立柳さんが感心した声を上げた。
「うそでしょ」
 あたしが冷たく笑った。
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