実夏の あっ地こっ馳 紀行

ご注意;★このブログの登場人物はフィクションです。
●9月8日  県立酉浜高校 =ロシアまで、愛を越えて
「では、話します。
 あたしのテーマは、『オホーツク挽歌』最大の謎を解く、というものでした。
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 宮沢賢治は、最愛の妹とし子さんを亡くした後、サハリンの栄浜まで行きます。表向きは、教え子の就職依頼でしたが、実際は妹を亡くした悲しさを吹っ切るためでした。そして、栄浜は当時、日本で一番北の海岸だったのです。星になった妹に、パスポートなしで一番近づける地点だったのです。
 その海岸で賢治は、小枝を拾ってHELLという字を描き、それをLOVEにして、十字架を立てるのです。
 では、やってみましょう」

 テーブルの上に、あたしは今朝拾ってきた枝を並べた。
「枝でHELLと描いてみました。これをLOVEにする、というのが最大の謎です。
 LとEはそのまま持ってこればOKです。VもLの角度をちょっと変えればできます。問題は、HをどうやってOにするか、です。
 さっきも言ったように、賢治はHELLをLOVEにして、妹への思いを断ち切りました。この後の詩は、同じ挽歌であっても、どこか吹っ切れた、未来を見つめる内容です。つまり、栄浜での小枝遊びが、この旅の頂点だったのです。あとは、帰り道。コルサコフの港で芸者さんを呼んで遊んで、連絡船と旧交を乗り継いで、花巻に帰るのです。
 HELLをLOVEに変えることは、賢治の中でちょっとだけ、思い切りが必要でした。こんなふうに」
 あたしはHを作っていた小枝を3本もって、まとめて折った。パキンという小気味いい音がした。
 半分になった小枝6本を使って、正六角形を描くようにOの文字を作った。そして、さらに、Oから短い枝を1本とり、Lの長い枝と組み合わせて十字架を作った。
「詩の中には、枝1本で1画だとは、どこにも書いてありません。
 というか、思い切って枝を折ったから、その思い切りがあったから、HELLをLOVEに変えることができて、花巻に帰ることができたのです。
 以上です」
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 みんなあぜんとしていた。そうだろう。あたしだって、心の中じゃあぜんとしているんだよ。ひとり、チャイキャベちゃんだけが、
「すごい、すごい」
 と拍手をしてくれた。
 審査結果は、2対1で、チャイキャベちゃんの勝ち。だれだ、あたしに1票入れたのは。
チャイキャベちゃんが椅子から立ち上がった。
「ありがとうございます。それでは、明日からの次期役員を指名しますね」
周りを見回す。那須先生がうなずいている。
「書記会計。五行クン。1年生だけどよろしく」
 五行クンが照れたような顔をして、頭をかく。
「副部長、尾花さん。で、部長は私、八白 菜葉が務めさせていただきます」
 え? チャイキャベちゃんが部長でいいの?
「当たり前でしょ。枝を3本まとめて折っちゃうような人に部長が任せられないでしょ。そのかわり、庶務・雑務はたっぷりやってもらうわよ」
 チャイキャベちゃんが笑った。
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 そんなことで、あたしの残りの高校生活は、学校でチャイキャベちゃんにこき使われて終わった。家では夏実お姉ちゃんにあごで使われて、ときどきチャコ従姉ちゃんが勉強を邪魔しに来て…、まったく、もう。
 そんな楽しい高校生活のある晩、夏実お姉ちゃんが急に真顔で尋ねてきたことがあった。
「ねえ、実夏。もしも、一番大切な人がいなくなっちゃったら、どうする?」
「やだなあ、縁起でもないなあ。変な質問しないでよ」
「もしもだよ」
「仮定の質問には、答えられません」
「そう」
「でも、もしもあたしなら、どこかずっと遠いところに行くかもね。そして、その海岸で小枝を3本拾って、ぽきんと折って帰ってくるの」
「実夏、それ、最高だね」
 でしょ。どんな思いも、それを吹っ切るのは、小枝3本と遥かな距離があればいい。愛憎なんて超越しちゃえ。
「実夏なら、どこへ行く?」
「そうだね。たとえば、ロシアまで」
「愛を越えて?」
うん。

=おしまい=

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●9月8日  県立酉浜高校 =チャイキャベ・レポート
●9月8日  県立酉浜高校

 月曜日の朝、隣でお姉ちゃんがあくびしながらつぶやいた。
「ふあぁあ。実夏、おはよう。今朝のベッド揺れてないね」
 昨日の朝はにっぽん丸の中にいたのに。
 小樽からそのまま新千歳空港に行って、白い恋人たちを両手いっぱい買って、飛行機に乗って午後遅く、藤沢のわが家に帰ってきた。留守番していたチャコ従姉ちゃんが、手作りの料理を用意して待っていてくれた。善行駅までチャコ従姉ちゃんを送っていって、旅は終わった。日常が戻ってきた。
 一つだけ終わっていないことがあった。そう、文芸部の部長選だ。

 昇降口には涼南センパイが待っていた。
「尾花さん、おはよう」
 冷たい声でいう。
「お、おはようございます。あ、これ、お土産です」
 あたしは、にっぽん丸のボールペンをセンパイに渡した。
「わかってるわよね。今日の放課後、部室で次期部長を決めるから。必ず出席しなさいよ」
「はい。覚えています」
「レポート、できたの? 宮沢賢治の謎」
「昨夜帰ってきたばかりですから、文章にはしていませんが」
「上等よ。あ、お土産ありがと」
 そういって、涼南センパイは長い髪を翻して3年生の教室に向かった。後ろで、夏美お姉ちゃんが、「しっしっし」とチェシャー猫のように笑っている。
 
 放課後、文芸部の部室になっている印刷室に行った。右手に「白い恋人たち」、左手には校庭で拾った松の枝を持っていった。
印刷室には、役者がそろっていた。那須先生、涼南センパイ、チャイキャベちゃん、それに1年生のルーキー五行くん。チャイキャベちゃんとあたしのレポートを、那須先生、涼南センパイ、五行クンが1人1票で投票して優劣を決める。どうせ3対0でチャイキャベちゃんが勝つのだろうけど。
 広い作業用のテーブルに腰かけて、報告会は始まった。
「じゃあ、チャイキャベちゃんから」
 涼南センパイの声に、チャイキャベちゃんが座ったまま話し始めた。
「私の課題は、『産業組合の理想とは』でした。
 組合とは、一人ではかなえられない大きな夢をみんなで少しずつ力を出し合ってかなえていこう、という考えです。いまの生協とか、農協とか、森林組合とか…協同組合は、その理念で活動しています。それは、株式会社とも、共産主義ともちがった、もう一つの共同体のありかたです。
 宮沢賢治は、産業組合を詩にしています。あるいは『ポラーノの広場』では、産業組合を作るところで話を終えています。その理想や理念は理解していたはずです。
 しかし、賢治が実践したのは真逆でした。自己犠牲です。
賢治は、自己犠牲の上に、岩手の貧しい農民を救おうとしてしまったのです。みんなで少しずつ力を出す、という大変な作業をあきらめて、ある意味イージーで美しく見える自己犠牲を進めてしまったのです。
 これが、賢治の過ちであり、限界でもありました。
 わたしには、『ポラーノの広場』を書いた人と『グスコーブドリの伝記』あるいは『銀河鉄道の夜』のサソリの話を書いた人が、同じ人だとは思えません」
 ぽつぽつと、ゆっくりと、噛んで含めるようにチャイキャベちゃんは話した。話し終えた後、しばらく誰もが口を利かなかった。涼南センパイが、眼鏡をとって涙をぬぐった。どう考えたって、あたしの負けだよ。
「えっと、じゃ、次。尾花さん」
 涙をごまかすように涼南センパイがあたしを指名した。
「は、はい。あの、その前に…」
「なあに?」
「棄権しちゃあだめですか?」
 あたしの言葉に、涼南センパイはキッとした顔で答えた。
「ダメ」
 センパイの目から、涙はもう消えていた。仕方ない。あたしも話すか。

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《涼南センパイは長い髪を翻して3年生の教室に向かった》
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●9月7日  小樽入港
●9月7日  小樽入港

 最終日、海はべたなぎだった。空はよく晴れていた。青くて高い北国の秋の空が、成層圏の先まで抜けていた。
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 朝ご飯を食べているうちに、もう小樽の街並みが見えてきた。
「実夏~、降りたくないよぉ」
「お姉ちゃん、あたしも~」
二人のママの前で、あたしたちは甘えてみた。
「はいはい、あとはお金貯めて、自分たちで好きなだけクルーズしなさい。世界一周でも二周でも」
 弥生ママがあきれる。
 最終日の朝食だ。
 あたしと夏実お姉ちゃんはハイ・ウェストの服に着替えた。あたしがジャンスカ、お姉ちゃんがワンピース。ウェストが緩やかだから、いくら食べても大丈夫。
「これ以上緩いデザインだと、マタニティーになっちゃう」
というぎりぎりのラインだ。さあ! 食べよう。育ち盛りの女子高生の食欲フルスロットル! しかも、双子だよ!!
 まずは、7階のダイニング「春日」に行く。夜は上級キャビンのお客さんしか入れない食堂だけど、朝ならあたしたちのような一般客も入れる。
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 春日のメニューは、フレンチトーストに卵、ベーコン、クラムチャウダーだった。卵は、オムレツ、目玉焼きだね、ゆでたまごから選べる。お姉ちゃんは目玉焼き、あたしはオムレツ。チーズをトッピングした。
 ゆっくりと動く小樽の海岸を見ながら、ペロッと食べた。
「実夏、瑞穂に行くよ!」
「オッケー!」
 階段を駆け下りて、2階のメインダイニング「瑞穂」に入る。まずは、基本の和定食の席に座る。
 カボチャの味噌汁。焼いたベニザケ。ベイクドポテト。湯葉。切り干し大根。厚焼き玉子。量じゃないんだよ。味わって食べようね。
 「瑞穂」では、和定食だけでなく、洋食のビュッフェもある。
 ロシア風ポテトのおやき、カボチャのサラダ、鶏のレバニラ炒め、フルーツ、パン。トレーに山もりしてきたあたしたちを見て、さすがのさくらママも、
「あなたたち、いい加減にしなさい」
とあきれる。
 カボチャのサラダの素材は北海道産らしい。例の、北海道の型に抜いたジャガイモも入っていた。最後は、にっぽん丸特性のビーフカレーで締め!
 ふう。現役女子高生の食欲、なめ、る…な…よ。って、食べすぎちゃったかな。

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 にっぽん丸は、ゆっくりと小樽港に入っていった。船首をそのまま陸側に向けて接岸した。岸壁には、小樽港の関係者が「ようこそ小樽へ」という横断幕を掲げて待っていてくれた。帰ってきたよ。ただいま。
 港に着いて、小樽の出入国管理官が乗り込んできた。おとといの夕方と同じように、ドルフィンホールでCIQが始まった。
 船に預けていたパスポートを返してもらって、出入国管理官の前に進み出る。「おかえりなさい、お嬢さん」
若い管理官が笑顔を見せてくれた。
「ただいま」
「いい旅でした?」
「はい。いろいろ勉強になりました」
「よかったですね。私もいつか行ってみたいな」
 きっと行けますよ。っていいたかったけど、そこまではさすがに女子高生の立場ではいえなかった。
 形通りの税関と検疫がある。
 税関は何の問題もなかった。ユジノサハリンスクのシティー・モールで、免税範囲の20万円を超えるショッピングなんか、できっこない。ダーチャの庭で拾ってきた木の枝は、船内で処分した。だから検疫も問題ないはずだ。健康申告カードにも、何もチェックする項目はなかった。けれど、夏美お姉ちゃんが検査官に呼び止められた。
「お嬢さん、ちょっと、顔色が」
 みると、いつもと違って赤い顔をしていた。額には玉のような汗がにじみ出ている。どうしたの! 発熱? 下痢? 心配するあたしの後ろで、さくらママがあきれた顔をして、代わりに答えた。
「食べ過ぎです、この子。早くトイレに行ってらっしゃい」

 港から小樽駅までは、ゆっくりと歩いて坂を登っていった。
「振り向くとにっぽん丸が見えちゃうから、前を向いて歩こう!」
夏美お姉ちゃんが声をかけた。さっきまで、赤い顔してうなっていたくせに。
 新千歳空港へ行く列車の窓から、小樽港が見える。建物と建物との間に、にっぽん丸の赤い煙突がちらちら見え隠れする。今度はいつ会えるのかな。また江の島に来てくれるかな。
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《建物と建物との間に、にっぽん丸の赤い煙突がちらちら見え隠れする》
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■  9月6日  サハリン = つめたくわらつた

 エレベータを待ちきれず、あたしたちは船尾側の階段を駆け上った。息せき切ってミッドシップ・バー入った。
 カウンターの内側にモリさんがいて、スツールに立柳さんが腰かけていた。他にお客はいなかった。立柳さんは、青みがかった薄いグレーの清楚なスーツを着けていた。ボトムスは、左わきにプリーツが1本だけ入っているスカート。ダーチャ・ツアーを添乗していたときの水色のポロシャツもスポーティーで素敵だったけど、このスーツもなかなか決まっている。オレンジジュースのようなカクテルを手にしていた。
「来てくれたのね、ツインズさんたち」
 モリさんが声をかけてくれた。
「メモ、ありがとうございます」
「キリル文字、読めた?」
 立柳さんがこちらを向いた。
「えっと、固有名詞だけ」
「上等よ」
 素敵な笑顔でほめてくれた。
「それで、パズルはとけましたか?」
 ティーカップを拭きながら、モリさんが尋ねる。
「それが、ぜーんぜん」
「私たちも、チャレンジはしたんですけど」
 カウンターの上には、カクテルピンがLだとかHだとかの形に並んでいた。立柳さんの左ひじの下には、日本文学全集の宮沢賢治の巻があった。にっぽん丸の図書室から帯出してきたんだろう。
「苦労したことは立柳さんから聞きましたよ」
「アートをアイに変えることは話したんだけど」
「…やっぱり、説得力はないですよね」
 あたしが立柳さんの言葉を継ぐ。
「難問ですね」
 といって、モリさんも残念そうな顔をした。
 話しながらも、モリさんは透明なティーポットで紅茶を作っていた。ミッドシップ・バーにはコーヒーマシンがあって、コーヒーやエスプレッソはボタン一つでできる。でも、紅茶はやはり入れてくれる人の腕がものをいう。
「眠れないといけないから、カモミールをベースにブラックカラントのジャムを入れてみました。眠れる湖のロシアン・ティーです」
 あたしたちの前に、黒いジャムが入ったティーカップが置かれ、黄色いお茶が注がれた。ハーブのいいにおいがする。
「すてき!」
 夏美お姉ちゃんが少女のような声を上げた。これなら、安らかな気持ちで眠れそうだね。だけど、HELLの謎を解いていないあたしは、まだ眠るわけにはいかないんだよ。まったく。 
 ロシアン・ティーをいれてくれたあと、モリさんもHELLをLOVEに直そうとし始めた。ミッドシップ・バーはいま、あたしたちの貸し切り状態になっているから、時間はある。あたしは、ポケットからダーチャの庭で拾った小枝を取り出し、カウンターに並べた。その隣で、立柳さんがカクテルピンを使ってキリル文字を作っていた。
「ロシア語ではなさそうですね。やはり、素直に英語のアルファベットでしょうか」
 立柳さんはギブ・アップしたようで、シャカシャカと音を立てて両手でカクテルピンをシャッフルした。難しいのはわかるけど、もう少し粘ってほしいなあ。
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「HERUをLABUにしては?」
 モリさんが何気なく話す。
「ローマ字ですか?」
「Rって、枝で描くとかなり難しいんです。曲線があると特に」
 あたしが答える。キリル文字も意外と曲線が多いから、立柳さんもうなずいてくれる。そして、
「ローマ字がだめなら、カタカナはどうでしょう?」
 と何気なくつぶやく。
「え? カタカナ!」
 夏美お姉ちゃんが立ち上がって、あたしの木の枝を並べ替える。
「まず、ヘルでしょ」
 そういって小枝を並べる。そして、ルを裏返しにして90度傾ける。ラになった。ヘはそのまま90度時計回りにするだけでフになる。
「ヘルがラフになったよ、実夏」
「あとは濁点だね」
「栄浜でしょ。貝殻でも小石でもごろごろしてるよ」
 カタカナとは盲点だった。さすがモリさん。世界中を旅しているだけある。
「でも、原文ではアルファベットですよ」
「立柳さん、水をさすことないのに」
 モリさんが苦笑いする。確かにそうだ。カタカナ説は2つの弱点がある。一つは濁点、もう一つは原文がアルファベットだということだ。チャイキャベちゃんも涼奈センパイも、そこを指摘することは間違いない。
「…濁点は、お姉さんがいうとおり貝殻や小石を使うとして、原文がアルファベットというのは致命的ですね」
 モリさんがいう。
「日本の歌謡曲でも、カタカナで書けばいいところをわざわざアルファベットにしている例は、たくさんあります」
 あたしは、うつむきながら小さな声で言い訳した。反論ではなくて、言い訳にしかならないのが、なんだか情けない。それでも、これが今現在一番有力な説だ。
 そのとき、場違いな音楽が流れた。ロシア民謡の「一週間」。テュラテュラテュラ…っていう歌。っていうか、あたしのドレスの中から聞こえてくるよ。
「あ、実夏、ごめん。ケータイの着メロ、変えたままだった」
「ちょっと、また勝手にあたしのケータイ使ったでしょ」
「いいじゃん」
「お姉ちゃんはいっつも長距離だったり、長電話だったりで」
 口論になりかけたあたしたちに、立柳さんが割って入った。
「出なくていいんですか? 電話に」
「どうせママでしょ」
 番号通知を見ると、藤沢のわが家だった。
「ウチからだよ」
 電話をつなげると、聞きなれた声がした。
「こんばんは、チャコです」
「チャコ従姉ちゃん…」
 留守番しながら受験勉強をしているチャコ従姉さんが電話をかけてきたんだ。
「これ、国際電話なの?」
 夏美お姉ちゃんが小首をかしげる。立柳さんもきょとんとしている。モリさんは微笑みながら
「大丈夫。日本の電波を拾っていますから」
「え? もう日本の電波ですか。なんか残念~」
 がっかりした声を夏美お姉ちゃんが出す。帰りたくないよね。降りたくないよね。
「にっぽん丸を気に入ってくれてありがとう。もっとがっかりすること教えてあげますね。あの灯、北海道ですよ」
モリさんが窓を指さした。窓の外には、救命ボート越しに、橙色の光が一列に並んで点滅していた。あーあ。
「なに盛り上がってるのかな?」
 チャコ従姉ちゃんが電話の向こうで声を上げる。
「…っていうか、なんの用?」
「時差2時間を実感したくて、電話したら、つながったの」
「時差?」
「そっちはもう10時でしょ。藤沢はまだ土曜の夜8時だヨ。加トちゃんぺ。東村山~」
 70年代が好きなチャコ従姉ちゃんが、わけのわからないギャグを飛ばす。従姉ちゃん、時差は2時間であって、40年じゃないよ。
「従姉ちゃんより2時間未来を走ってるんだよ」
「そうね、2時間おばさんに近づいてるんだね」
 半年先に生まれたくせに。まったく。
「でもすごいな。国内通話で、2時間の時差があるなんて」
 そのあたりは、さすが地理学科志望の受験生だね。
「…ところで、HELLの謎、解けた?」
 あたしはかいつまんで、カタカナ説を説明した。チャコ従姉ちゃんは相槌を打ちながらも、納得していないようだ。そうだよね、これじゃあチャイキャベちゃんも納得してくれそうもないね。
「藤沢に帰ったらまた考えるよ。チャコ従姉ちゃんも一緒に考えてよ。三人寄ればなんとかっていうでしょ」
「そうね。明日の晩まで待ってるね」
 そういって、電話が切れた。明日の晩にはもう、自宅に帰っているのか。あーあ。
 ため息をついてばかりでいるのもしゃくだから、あたしはカウンターの上の枝を3本まとめて、折ろうとした。
「実夏、それは文殊の知恵じゃなくて、毛利元就3本の矢だよ」
 3本の枝に力を入れた。今夜の検証は、もうこれで終わりにするつもりだ。枝を日本国内にもっていくのは、植物検疫を受けなくてはならない。もっとも、小樽のQSCは、そんなに厳密じゃなさそうだけど。
 濡れていたはずの枝は、意外とあっさりと折れた。
「ちょっと、実夏、待って」
「遅いよお姉ちゃん、いま折れちゃったよ」
「そうじゃないの。LOVEの謎、解けたかも」
「「「え?」」」
あたしは、モリさん、立柳さんとハモりながら声を上げた。
「実夏、賢治の詩を読んで、もう一度」
「いいわ、私が読むわ」
 そういって、立柳さんが詩集を広げた。 

『幾本かの小さな木片で
HELL と書きそれを LOVE となほし
ひとつの十字架をたてることは
よくたれでもがやる技術なので
とし子がそれをならべたとき
わたくしはつめたくわらつた』

 ゆっくりと立柳さんが読み、夏美お姉ちゃんがカウンターの上に小枝を並べた。そして最後に、十字架を立てた。
「なるほどね」
「たしかに」
 モリさんと立柳さんが感心した声を上げた。
「うそでしょ」
 あたしが冷たく笑った。
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■  9月6日  サハリン = ここまでおいで
 ミッドシップ・バーは、その名の通りにっぽん丸6階のほぼ中央にある。真上は7階のプール。プールって、床を掘って水を貯めているから、その下の6階はプールの水槽になっている。ガラス張りにしてもいいのだろうが、ちょっと悪趣味だ。なので、6階の中央をデッド・スペースが占めていることになる。窓の外は救命ボートが視界を妨げている。なので、キャビンにはしないで、公室になっている。ミッドシップ・バーは左舷にあり、反対側はシアターになっていた。シアターもバーも、あまり外の景色は関係ないからね。
 バーといっても明るい雰囲気で、喫茶店に近い。これなら、まっとうな女子高生のあたしたちがいても、それほど違和感や罪悪感はない。わが酉浜高校の生徒心得では、「高校生の喫茶店立ち入りは保護者の同意のもと担任教諭が許可する」ことになっているけど、そんなこと気にするほどお嬢様ではない。生活指導の先生たち、ここまでおいで。

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《ここまでおいで》

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